2001年02月04日

立上る雑草

 1946年の「採集と飼育」という雑誌に「立上る雑草」という題名で、広島に原子爆弾が落ちたあとに生えはじめた雑草を調べて記録してくれた人がいます。結城一雄さんという方です。当時の様子がよく伝わってくるので彼の文章を引用します。

「広島の焼野が原は、原子砂漠といわれていますが、その原子砂漠に今や数々の雑草が雄雄しく立上がっています。閃光一瞬、広島の人たちが被ったごとく、かれら雑草の大半は死滅したものと思われていました。当時の強烈なウラニュウムの放射は、広島に70年間生物を住まわしめぬだろうとさえ言っていましたが、広島復活の先駆は、実にナズナ、ウマゴヤシなどの雑草たちによってなされたのです。爆心地の湖畔から広島城一帯のかれらの繁茂は驚くほどです。緑に飢えた砂漠の人々のオアシスとなっているのです。スクスクと何物にもひるまない逞しいかれらの成長は、戦の疲れから抜けきらない人たちへの無言の教示とも言えましょう。」と彼は爆心地から1500m圏内の草を調べています。

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2001年01月23日

メダカの学校

 この夏、自然耕(不耕起栽培)の田んぼでメダカの繁殖に成功したことを知り、20匹程もらいに行きました。この夏だけで一万匹以上のメダカを養子に出したそうです。メダカは今年、環境庁のレッドデータ−ブックの絶滅危惧種�に載りました。それを知った不耕起栽培普及会会長の岩澤信夫さんが、今まで田んぼに生き物たちの循環を作り、命をたくさん蘇らせ育んできた経験を生かして、メダカを復活させたのです。

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1999年09月03日

人間の素晴らしさ

 生命連鎖の中にいる生き物自身は、別に次の生命の餌になろうとか、役に立つ死に方をしようとは、思っていないでしょう。しかし、自然界では、植物が光合成によって、澱粉などの形にした太陽エネルギーを出発点として、次々と生物が食べて生きる糧とし、死骸という形あるエネルギーが残っているうちは、それを使って生きる生命が現れて、最後に菌により無機(=無気、エネルギーがゼロ)になるまで分解されます。

 良い土で、理想的に出来たにんじんは、酸性土壌を改良してくれたススキや茅、カルシウムを作ってくれたスギナ、春先寒さから守ってくれたハコベや、土を作ってくれた土壌動物や菌の働きに感謝したりはしません。 

 しかし人間には、このつながりが見えます。・・・続きを読む
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1999年06月27日

生きる感性

 江戸時代末期に起きた天保の大飢饉を察知し、小田原藩の大難を小難にしたのは、二宮尊徳の味覚だったと言う有名な話があります。ちょうど田植えが終わったころ、彼が初ナスの漬物を食べていると、秋茄子の陰の味がしました。すぐさま田んぼを見て回ると稲の根が伸びておらず、野山の草木は秋の準備をしているし、秋のせみであるツクツクボウシが鳴いていました。今年はもう夏がこないと察知した彼は、早速小田原藩に進言、稗、粟、蕎麦を植えたものは年貢を払わなくても良いと言う思い切った政策をとり、徹底させたのです。その年は天保の大飢饉で大変な餓死者が各地に出たにもかかわらず、小田原藩は何とかしのぐことが出来ました。(6月号の赤峰さんのなずな新聞と、6月12日研究会講師の廣野さんが、同時にこのお話を取り上げています)

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1999年04月18日

草の力と人の知恵

 草の働きに魅せられて、昭和37年から実験観察研究を重ね、書数_法と言う雑草の効力を活用して安全でおいしい作物を栽培する方に、最近出会いました。廣野壽喜さんと言う山形に本拠地を置くお百姓さんです。

 彼は山に山菜を採りに行くと、同じ場所に生えているのに、土壌中のおいしい部分を吸収してあくのない山菜類と、にがみを上部に集め白い部分に甘味があるウド、臭みを集めるサクの根、毒を集め美しく咲くトリカブト、と言うようにその植物に組み込まれた遺伝子の違いによる特性に注目、畑に生える草を観察しそれぞれの草の働きを調べました。

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